
どうもです。
一昨日誕生日を迎え、人生を振り返り、今後の人生における展望を模索していたFPひろき(@fp_hiroki)です。
ちなみにその昨日のブログ記事はこんな感じです。
実はこれを書きながら、フツフツと沸き上がる強い感情がありました。
新卒採用時は就職氷河期。
安定した仕事につけたと思ったら、45歳すぎたらリストラが待っている...。
もはやいくらなんでも第二次ベビーブーム世代は不遇すぎます。
ああ、また我々の世代が割りを喰うのか。
日本社会はどこまで我々を虐げたら気が済むのでしょうか...。
まったくやるせない..。
ザックリこんなとこです。

これはちょっとばかりまとめておくしかないでしょ!
気持ちが和らぐのか、はたまた怒りが再び込み上げてくるのか。
それは正直わからない。笑
でもまぁマーケットも休場だし書いてみようか。
という具合にブログに書くことに決めました。
今日のブログでは、第二次ベビーブーム世代が、社会から浴びせられた数々の辛い思い出をご覧いただきたいという趣旨のものです。
どうぞお付き合いください。
Contents
●第二次ベビーブーム世代はとにかく人が多い!何事においても競争が激しかった。
第二次ベビーブーム世代というぐらいですから、
この世代はとにかく人が多い。
幼少時代はバブルの恩恵を受け、なんの不自由もなく幸せに育った人が多い世代ではありますが、それがある時を境に一変するんです。
そうです、受験です。
受験戦争はとにかく加熱し、苛烈を極めたのをよーく覚えています。
高校受験も確かに厳しかったのかもしれませんが、
当時としては「こんなもんでしょ。」というのが率直な感覚でした。
なのでそこまでの辛さは感じなかったのです。
ところがです。
受験といってもそこではなかった...。
そうです、大学受験ですよ、特に大変だったのが。
1大学入学は狭き門!第二次ベビーブーム世代は異次元の受験倍率の中で戦い合った。
参考資料を探してみたのですが見当たらないのでソースは割愛しますが、
当時、日東駒専、大東亜帝国あたりの大学の受験倍率ときたら...。
何十倍は当たり前。
中には100倍を超えていた大学もあったと記憶しています。
大学全入時代と言われる昨今がにわかに信じられません。
地方の大学ですら入るのが難しいとされていた時代で、
大学受験を諦めた人も多かったのではないでしょうか。
学生自体が多かったのは言うまでもありませんが、大学受験からこぼれてくる学生も多かったこともあり、その受け皿となった専門学校がとても活気を帯びていた時代でもありました。
2バブル崩壊に直面し就職はますます狭き門に。その後、大量の非正規雇用を生み出しました。
ただでさえ人が多い上に、そこにバブル崩壊の大波が押し寄せたのが、第二次ベビーブーム世代が直面した就職難です。
少ないパイの奪い合いにより貴重なものとなっていた就職口が、
バブル崩壊という大不況でさらに少なくなった嘆かわしい状況に、
当時の学生は大いに絶望しました。
1996年当時の大卒の就職内定率は、
65%ほど(短大卒に至っては50%程度)だったと記憶しています。
JR西日本社員における年齢構成比を見てもらえれば、それもうなずけるでしょう。
(2015年4月現在) 出典:togetter
企業に正社員として就職できなかった人たちは、不況もあいまって、
どんな形でも働かなくてはならない状況に追い込まれていました。
社会経験も無ければ実績もない彼らは、アルバイトや契約社員などで生計を立て、
チャンスを伺い続けました。
西暦2,000年
新しい世紀に突入し、いよいよバブル崩壊の傷が癒え、彼らにもチャンスが巡ってくるのかと思いきやそんなに甘くなかった...。
ここでまさかのITバブル崩壊ですよ...。
この世代はどこまでツイていないのでしょうか。
非正規雇用でしか働いたことのない彼らに対し、企業側の評価は一向に上がってこない。
前時代の価値観を引きずるあまり、採用に値する人材がいないとし、見向きもしなかったのです。
それが是正されぬまま、長い時を経て今に至っています。
3憧れの教員!ところがこの時も高い倍率が第二次ベビーブーム世代の道を阻む。
いま、先生の数が不足しているらしい。
第二次ベビーブーム世代から言わせると、
であります。
当時、多くの学生が先生を志し、教員試験に何度もチャレンジしたのです。
ところが、やはりここでも高い競争率に阻まれ、多くの人が止むを得ず教員の道を諦めたのです。
出典:文部科学省
国は、現状の危機的な教員不足を今になって嘆いているわけだが、
団塊の世代が退職した後の人材の空洞化については予見できなかったのであろうか。
いま、教育現場の危機が叫ばれ始め、大慌てで採用を活発化させてはいるが、採用対象の年齢から外れつつある第二次ベビーブーム世代は、やはりここでも蚊帳の外であるのです。
そうです、後の祭りというやつですね。
●新卒で就職した人も「実力主義」導入の犠牲者に。多く人が会社を去り、転職を重ねる世代と化す。
新卒でやっとこさ潜り込めた人たちはどうだったのか...。
この人たちの多くもまた、社内で不遇な時を過ごしたのです。
せっかく入社できた会社。
さあ頑張るぞ、と思った矢先にとんでもない時流に巻き込まれました。
終身雇用のもとで守られ、定年までいられると思ってたら...。
それを時代が許さなかった...。
こちらはこちらで、多くの企業が取り入れた「実力主義」、「成果主義」に振り回され、そう簡単にはいかない状況になったのです。
2,000年頃、終身雇用という雇用慣行は崩さない、
としていたあの社員に優しいパナソニックでさえ、
「実力主義」や「成果主義」を導入したぐらいですから、
今思うと、当時として完全にトレンドだったんだなぁ〜、
と振り返ることができます。
「実力主義」も「成果主義」も日本人には馴染まないものとして、
多くの企業が違った形での評価法を取り入れ始めたのは、
この経験があったからでしょう。
しかし一方で、気の毒な人達が存在したのです。
やはりこの時も割りを喰ったのが第二次ベビーブーム世代の人達でした。
企業にとってはいい勉強になったのかもしれませんが、
ここでもモルモットのような扱いを受け、
犠牲になったのが第二次ベビーーブーム世代だと言えるからです。
入社して2、3年目に差し掛かった頃ということもあり、新人扱いもされず、
バブル崩壊で疲弊しまくった会社に成果を強く求められました。
当然期待されるような成果を出せる若手社員も多くはないわけで...。
そこはまだまだ社会人2、3年目の若手社員。
経験不足を露呈し、多くの人が自信と居場所を失ったのです。
会社にいずらくなった当時の若手社員は、逃げるように会社を去り、
その後転職を繰り返すようになったのです。
FPひろきの周囲でも、新卒で入社しその一社にとどまっている人はほぼいません。
そのような辛い過程を経て、今に至っています。
きっと多くの人たちが今日もまた、リクナビあたりを覗いていることだと思います。
●今になって人材不足を嘆く企業。マネジメント経験がある社員を求めるも絶賛人材枯渇中。
教員不足が叫ばれ、今になって採用を活発化させていることは前述した通りです。
しかしこれは教員の世界の話だけではありません。
企業においてもまったく同じ現象が起こっているのです。
先ほどのJR西日本の社員構成比からもわかるように、
どの企業も社員の年齢構成比が歪なものになっています。
バブル崩壊後、第二次ベビーブーム世代の採用を控えたことにより、
どの企業もこの世代が著しく不足しているのです。
団塊の世代は抜けていき、マネージメントを任せたい人材を次の世代に託したい...。
ところが、採用を控えたこともあって、そこの人材がいないのです。
今になって多くの企業が、
「マネージメント経験者求む。」
で求人を出すも、思いのほか、企業が求めるような良い人材が見つからない。
それもそうです。
バブル崩壊後、多くの企業が新卒採用を絞り、
第二次ベビーブーム世代の多くの人材は正社員の道を絶たれ、
非正規雇用での労働を余儀なくされていたわけですから。
そりゃ企業が求めるに見合うキャリアを積めていませんって。
このように、今日の日本企業の衰退は、人材採用、人材育成面で遅れをとり、
先見性の無さを露呈したのも一因だったのではないか、と考えています。
●社会参画をろくにさせてもらえなかった第二次ベビーブーム世代の復讐。
↑この本のタイトル通り、第二次ベビーブーム世代の復讐は、
「中高年の引きこもり」
です。
この問題は今後、財政負担をしいるようになり、必ずや社会問題化してきます。
これこそが第二次ベビーブーム世代の最大の逆襲に他なりません。
昨今、あらゆる自治体で中高年の非正規雇用者の採用試験を実施していたのは、
中高齢者の雇用の安定化の懸念への対応のためとしている一方で、
世代間による機会平等のためと言われています。
暗い時代背景の中で常に割りを喰ってきた第二次ベビーブーム世代は、
とかくチャンスが少なすぎました...。
公務員採用試験を実施する気概は認めつつも、
あのわずかな採用枠で誤魔化そうというのですから、
それをもって救済されているとは誰も思わないでしょう。
国家財政も逼迫させかねない、第二次ベビーブームをはじめとする就職氷河期世代の雇用問題。
これも解決していかないと、日本の明るい未来はやってこないと思うところです。